Nearly Equal ( ≒ )
〜霧と 雨と〜

[ ← BACK ]     © 自子     [ NEXT → ]



「久我先輩」
振り返ると、宝生 円が立っていた。

「あの、昨日は有難うございました。私、男の人苦手で…。本当に、有難うございます」
「いや、いいよ。揉め事の鎮火はいつものことだ」
「あの、私…」
円は何か言おうともじもじとしている。
面倒だ。
「悪いが、次も授業があるんだ。何か用事があるんなら莢にでも言ってくれ。それと、男が苦手ならコンパなんて行かないことだ。いつでも助けてもらえる訳じゃない」
俯く円に背を向けて、俺は情報室へと向かった。

昼の学食は学生でごった返していた。
都は混雑を避けて既に昼飯を食べたらしい。
俺と莢は二人でテーブルを囲んだ。
「秋人ォ、あんた円ちゃんになんか言ったの?」
「別に…」
莢はサラダにどぼどぼと青じそドレッシングをかけながら言った。
「円ちゃん、二限が始まる前にアンタんとこに行ったよね、確か。なんかハタ目から見てしょんぼりしてたよ?別に親しくしろとか優しくしろとか言わないけどさ、冷たくするのはちょっと可哀相かなーなんてね」
「そうかぁ?可哀相っつーか、女ってのは面倒なんだよ」

一瞬、円の俯いた姿が浮かんだ。
円の、悲しそうな顔。
何か、ひっかかる。
あいつ、どこかで…。

味噌汁をすすった。うん、うまい。
「都の奴もよくやるよなぁ」
都は基本的に「来るもの拒まず去るもの追わず」らしい。
付き合ってくれと言われればホイホイ付き合うし、別れてくれと言われればすっぱり別れる。
あいつは、恋愛に関しちゃいつも受身だ。
多分それは、あいつが恋人に何も求めていないからじゃないかと思う。
あいつが誰かに対して固執することなんてそうそうない。
「あんたが女の子に興味もたなすぎなんでしょ!」
「莢、そういうお前はどうなんだよ。男とか」
莢のパンをちぎる手が一瞬止まった。
「べっ、別に…」
俺から目を逸らす。
「ほら、俺のこと言えない」
「何よぅ」
莢はむくれながらサラダをばりばりと食べた。

「あ、あのさ、秋人」
莢が不意に手を止めて言った。

「最近、九条院の家のほうからそろそろ戻って来いって言われてるの」

「え…?」
つまり、それは…?
あまりに唐突で頭がまわらなかった。
「今年で成人するし、そろそろ教育の意図を理解してもいい頃だって。母様は戻るのは大学を出てからでいいと言ってくれてるんだけど」
「ああ。お前は、どうするつもりなんだ?」
「勿論、大学出てからじゃなきゃ戻らないつもり」
「…そうか」
「それでね、親の決めた婚約者がいるのよ、アタシ。結婚がどうのって言われ始めて、それもあってちょっと今家がごたごたしてるの」
婚約者?
「だからアタシ、恋人なんて考えたことないの。辛くなるから」
ああ、そうか。そうだな。
なんだかんだ言って、未だにお前は家に縛られてたな。

「…そうか。悪かったな」
「いいのよ、別に」
莢は再び手を動かし始めた。
そして、俺の顔を覗き込むようにして言った。
「悪かったって思う?」
「まぁな」
「んじゃあ、今日の夜付き合って!」
「これまた唐突だな。今日かよ。バンドの練習入ってるぞ」
そんな俺の言葉を無視し、莢は一気にまくしたてた。

「例の婚約者に会う約束があるの。別に悪い人じゃないし、小さい頃よく遊んでもらったりしてた人でね。向こうも婚約は乗り気じゃないみたいだし、ある意味破談にするためのお食事なのよ。ちょっと高級なご飯が食べられるから、一緒に来てよ秋人〜。恋人のフリしろとかまで言わないからさ!」

莢め…。
俺は少しげんなりした。
「めんどくせぇー」
「おねがい、アキトクン☆悪かったって思ったでしょ?」
いたずらっぽい笑顔で莢はせがんでくる。
俺はこれに弱い。そしてそんな頼み方をする時の莢に関わるとロクなことがない。
「都に頼めよ…」
「都ちゃん、今日はデートで外せないって言ってた」
デートかよ…。
あいつ、うまく逃げたな。
「しゃあねぇなぁ。俺はメシ食いに行くだけだぞ」
莢は顔をぱぁっと輝かせた。
「やった!ありがと秋人!」
バンドの練習、キャンセルしなきゃなぁ。

着慣れないスーツなんか着るもんじゃない。
大学の入学式以来箪笥に入れっぱなしだったスーツを着て、俺は高級料亭の前で莢を待っていた。
昨日は闇屋、今日は料亭と莢も食で忙しいもんだ。
これで太らないのだから不思議だ。
道路を眺めていると、黒いBMWが走ってきて料亭の前に止まった。
着物を着た銀髪の女性がBMWから出てきた。
「ありがとう。終わったら電話するわ」
莢だ。
莢がこちらに気付いた。
「あ、早かったのね。待った?」
「いや別に。待ってねぇよ」
「そう?それじゃ、入ろっか」
俺と莢は料亭の門をくぐった。

こんな高級料亭、俺にはまず縁が無いだろうな。
池やら橋やらししおどしやらがある時点で、俺が此処にいるのは何か間違っている気がしてならない。
案内された和室には、まだ莢の婚約者は来ていなかった。
座敷の座布団であぐらをかきながら俺は言った。
「…莢。ここは俺が来ていいところなのか…?」
莢も座布団の上に正座し、綺麗な顔を崩して言った。
「何いってんのよ。いいじゃない、美味しいもの食べられるんだから。ちょっと、ちゃんと正座してよ」
「いや、美味い物がどうとかいう話じゃない…」

しゃ。

入り口の障子が開いた。
「遅くなって申し訳ない。莢ちゃん、久しぶり」
「あ、萬(よろづ)さん。お久しぶりです」
ダークグリーンの髪の毛と瞳。
長身で整った顔立ち。
萬と呼ばれた男は、和服にキセルがぴったりな男だった。
「莢は彼氏を連れてきたんだね。俺も連れがいるんだが、いいかな」
「ええ、どうぞお入りになって。でも彼は恋人じゃないですよ」
「へぇ、そうなの?」
開いた障子から、着物を着た大人しそうで綺麗な女性が入ってきた。
ぺこりとこちらに会釈をすると、萬の隣に座った。

なんなんだ…。
お互い婚約者同士なのに。
俺は莢にぼそぼそと小声で話し掛けた。
「おい…莢」
「なによ、どうしたの?」
「いいのか、これ」
「なにがよ」
「お互い婚約者同士だろ?」
「言ったでしょ、お互い乗り気じゃないって」
「いや、だからってこれはないだろう」

「いいんだよ、破談にするための食事会だから」

萬が微笑を浮かべながら口をはさんだ。
「まあ、とりあえず自己紹介でもしようか。俺は相模 萬(さがみ よろづ)。うちは茶道の本家で、俺は時期家元らしい。他に兄弟もいないからね。こっちは江夏 芙杏(えなつ ふあ)。うちのお弟子さん」
芙杏が会釈をする。
「君の名前を聞きたいんだが、いいかな」
「…久我 秋人といいます。莢の友達です」

時期家元?この男が?
萬は髪や瞳が緑がかっており、顔立ちがすこし日本人離れしている。
茶道の本家なら、もっと…

「妾の子でクォーターなんだよ、俺は」

…何だ?
俺は…何も聞いてないぞ…?
「悪いね。色々見えてしまう性質(たち)なんだ」
「…萬様」
「いいよ、芙杏。彼は悪い人じゃなさそうだし、何より莢の友達だ」

料理が運ばれてきた。
さすが高級料亭、生け造りや見た事の無い懐石料理ばかりが出てきた。
日本酒も運ばれてきた。
「あら美味しそう。いただきましょ。秋人おなかすいてるでしょ?」
「あ…っああ…。そうだな…」
莢は萬に日本酒を勧め、お酌をした。
莢は俺にも飲むかと訊いてきたが、遠慮した。

莢と萬が何か喋っている。
家がどうのだの誰はどうだの最近はどこどこがどうだの。
退屈だ。
やっぱりこなきゃよかった。

「そういえば久我君。君、誰かのことで何か引っかかってることないかい?」

突然、萬は俺に話し掛けてきた。
「…は…?」
萬はキセルを吹かし、俺の目を見据えて言った。
「部屋に入ったときに見えただけだよ。君にとって少し重要なことのようだから、言っておこうと、ね」
重要?
何のことだ?
「もし引っかかってることがあるのなら、その人物は前に会った事がある人物だ。前世ほど昔ではないが、結構前」
…なんだ、こいつは。
俺の心を、覗いているのか?
萬はキセルの煙を吐いて続ける。
「その人物はそれを憶えているよ、多分」
「萬様」
芙杏が静止の声を上げた。

引っかかっている人物?
円のことか?

「…悪かったね。見えると勝手に口が動くんだよ。大抵の奴は気持ち悪がるし気分を害する。すまなかった」
「…いえ」
「萬さん、まだその癖直ってなかったのね」
莢が眉を寄せて笑った。
「直ってきたとは思ったんだけどなぁ」
萬は苦笑した。

外は少し雨が降っていた。
道路には九条院家のBMWと、相模家のものと思われるベンツが停まっている。
「じゃあ、萬さん。おじさまに宜しくね」
「ああ。九条院の家の方には、こちらから連絡しておくよ。まあ、元々破談になりそうな雰囲気だったから、両家共ガタガタいうことはないだろうしな」
「あはは、そうですね。ありがとうございます。助かります」
「いや、今日の話は俺が持ちかけた話だからな。…じゃあ、俺達は先に失礼するよ。莢ちゃん、久我君、今日は有難う。久我君には厭な思いをさせてしまったかも知れないけど。本当にすまなかったね」
「いえ、気にしてませんよ」
「…ありがとう。君達も気をつけて」

萬と芙杏はベンツに乗り込み、去っていった。
「破談、か」
莢がぽつりと言った。
「アタシね、婚約者とかじゃなくて、萬さんが好きだったの」
莢は、ベンツが走り去った方をぼんやりと見ていた。
「萬さん、色々見えるでしょ?その所為で、昔から独りだったの」
莢の顔に表情はない。
「萬さんと一緒に来た女の人いたでしょ?あの人ね、萬さんの恋人なの。全部、受け入れてるの。全部、わかってるの」
莢の瞳はガラス玉のようで。
「アタシじゃかなわないの」
莢の躰は少し震えていた。
「アタシが婚約者でも、かなわないの」
「…莢。早く車に入らないと」
「アタシじゃ、あの人は幸せになれないの」
「…さや」
「だから、婚約も解消して」
莢の瞳から、泪が零れた。
「あの人の寂しい気持ちを埋められるのは、アタシじゃないんだもの」

莢は火がついたように泣き出した。
「アタシじゃ…アタシじゃだめなんだもの…!!」
「さや」
泣きじゃくる莢に胸を貸した。
莢はただただ泣いていた。
きっと、ずっと感情を抑えていたのだろう。
スーツのジャケットが泪と鼻水で汚れる。
…莢のなら、別にいい。
ただ、この雨で莢が風邪を引いてしまわないだろうかとぼんやりと思った。


”その人物はずっと前に会った事がある人物だ”
”その人物はそれを憶えているよ”
俺は、相模 萬の言葉がいやに気になった。

昨夜は莢に家まで車で送ってもらった。
気丈にも、莢は車の中では一切悲しいという感情を出さなかった。
俺が車から降りる際に「じゃあまた明日ね」と笑顔で手を振ったくらいだ。
まあ、大丈夫だろう。
辛ければきっと助けを求めてくる。

「やあ秋人、昨日はどうでした?」
都が笑顔で隣の席に座り、次の講義の準備をする。
「おう都、昨日のデートはどうだった?」
「ええ、楽しかったですよ。まあ、映画を見てお茶を飲んだくらいですが」
「ほぉー。俺は、性に合わない高級料亭に連れてかれて堅苦しいったらなかったよ」
「おや、災難でしたねぇ」
「お前が断るからだろ」
「先約がありましたからね」
「…まあいいけどよ」
教室はざわざわしている。
まだ講義が始まるには時間がありそうだ。

「なあ都。この間闇屋で助けた、宝生 円って女いただろ。あいつさ、何処か別の場所で会ったことあったっけ」
都は首をかしげた。
「ん…?彼女、秋人のバンドのファンなんですよね?」
「いや、それ以外で。何か心当たりないか?」
「僕は特には…。一度会った女性は忘れたりしませんし。秋人は心当たりあるんですか?」
「いや、ないんだが。ちょっとな」

俯いて、何か言いたそうな。
円の、悲しそうな顔。
円の、泪。

莢の、泪。

…やめよう。
らしくない。
…昨日は色々ありすぎた。

昨日は練習をドタキャンしたからな。
ライブも近いし、今日はちゃんとスタジオに顔出しとくか。


To be continued...


[ ← BACK ]                            [ NEXT → ]